昨日は行けないと思っていたお悔やみ。幸いというか、時間はあるんです。一晩考えて、肩書きに押されるように、お悔やみへ行こうと決断しました。
家族ぐるみでバーベキューをしたりしていたので、妻も同行してくれることに。1人で行ったら途中で引き返しかねない心情でしたが、妻がいてくれれば、それはせずに済みそうです。
友人の携帯電話番号しか知らないので、奥さんに連絡は取れません。故人の携帯を鳴らすのも、気が引けます。知らずにかけたならともかく、奥さんから直接連絡をいただいているのですから。思えば、あの時に聞いておけばよかったと。
車で片道1時間ほど。到着するまでは、妻と談笑しながら、時折寄せてくる悲しみの波を乗り切ることが出来ていましたが。しかし、玄関を入り、彼の寝ている顔を見たら、我慢なんて出来ませんでした。
もともと涙腺の緩い方ではありますが、目の当たりにする現実に、栓を無くしたように涙が出てきました。
病んでいたわけではありませんから、やせこけるわけでも無く、以前と変わらぬ、そのままの姿で横になっているんです。その目が再び開かないと思う度に、涙が出来ました。
お経を一巻、読みました。何度も止まりながら、読み始めたことを後悔もしましたが。でも、これが自分に出来る役割ですから。お経を読んだからといって、どうにかなるわけではないけれど、他にしてあげられることも無いですから。
その後、短い時間でしたがご遺族とお話しさせていただいて、急な病が原因と教えていただきました。幼い彼の子どもたちは、父親の死を理解していませんでした。それがなおのことかわいそうで・・・
副住職として、いままでたくさんの死を見てきました。その中にはもちろん若い方の死もありました。友人よりも、もっと若くして旅立った方もいます。でも、妻子を残して、というのは、初めてのケースなのです。それがさらに、友人だなんて。
正太寺が菩提寺でなくて、その点だけは良かったと思います。私が泣いてしまって、とても儀式どころでは無くなってしまいますから。
そしてもう一点。お悔やみに行って、良かった。自分の行いを後悔せずに済みますし、友人にお経を読めたのは、辛かったけれど、嬉しかったです。