書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

法要のあと

正太寺の場合、およそ毎週、お年忌の予約が入っています。皆さん忘れずにご先祖様をご供養してくださっていると言うことですので、ありがたいことです。先祖供養、大切です。

そして、その大切な先祖供養の場を、さらに有意義なものとするために、欠かさずにお説教をしています。法話ですね、いわゆる。「教えを説く」からお説教。お釈迦様の教えを、私の口を通して語るわけです。緊張します。

緊張しながら(傍からはそう見えないかも知れませんが)のお説教の場ですが、お年の法要をお勤めしたあとですので、参列の皆さんは足も痛いでしょうし、腰も痛いでしょうし、早く体を伸ばしたいであろう時間帯となります。

そんな場ですから、お説教にも無駄な部分はあまり入れ込めません。興味を失われないように、注意を払ってお話をします。

とはいえ、私ごときの技量では限界もありますので、手応えたえのない結果になることもしばしば。そういう時は、悔しいです。

ちょっとでも反応があれば、例えば視線がこちらに向いているとか、話に混ぜた冗談に笑ってもらえたとか、そういうのがあるだけで、まさに舞い上がるように気持ちが高ぶります。

でも、みんな下を向いているようなときは、自分の話に何の面白味も感じてもらえていないと言うことですから、話している最中から辛くなってきます。

先祖供養の場とは言え、笑って聞いてもらえる話ができることが常に目標です。これはお葬式の直後の、初七日(一般的には三日七日という表現が多いでしょうか)法要の場でも同じです。

故人との思い出が脳裏をよぎって泣きそうになりながらお話しするときもありますけれどね、そんな時でも最終的には笑ってもらえるような話を心がけています。

不謹慎ではないのです。人が亡くなることは必然。自然。そして、面白ければ笑うのもまた、必然。

どんな場面でも、笑って聞いてもらえる法話を、これからも求め続けていこうと思います。