書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

照れくさいのです

同級生のうちで、法事。親父さんが亡くなって一年。一周忌のお勤めです。


子どもの頃に親父さんと顔を合わせた記憶というのが無いのですが、自動車学校の教官をされていまして、私もほぼ全課程で指名をさせて頂いて、お世話になりました。


その頃は私もシャイでして、同級生の親父さんとは言え、なかなかスムーズに会話をすることも出来ず、まどろっこしい時間を過ごしていたのですが、正太寺のお世話人をしていただいてた頃から、だいぶ話が出来るようになりました。


母の同級生でもあり、早すぎる死に私もショックを受けたのをはっきりと覚えています。


そんな方の一周忌。咳がさっぱり止まらず、昨夜は咳き込んで寝付けないほどでしたので、今日はお説教を省かせて頂きました。お経の間は我慢できるのですが、お経でノドが荒れた後は、咳き込みが激しくなるのです。そのことを読経の前に話しながら、なんだかんだで10分ぐらいしゃべったのですけれどね。それをお説教に回せば良いのに・・・


何にしても照れくさいのです。同級生が施主として目の前に居て。向こうも同じかも知れませんけれどね。同級生なのに和尚として迎えなきゃならないんですから。こそばゆいことでしょう。


後席も招いて頂いて、私も今日は他に用が無かったので落ち着いてご一緒させて頂きました。親父さんの妹さん、と思われる方と主にお話ししながら、楽しくお料理をいただいて。


一周忌。


気持ちの整理がだいぶついた方も居ますし、まだまだの方も居ます。一周忌のことを小祥忌と言います。祥には喜ぶとか幸いとか言う意味があるのですが、仏さまになって一年を喜ぶ(仏さまになれることは、めでたいことです)、変わらず皆で仏さまを偲べることを喜ぶ、一年の区切りに法事を営み、その先を幸せに変えていく、そんな意味合いがあるようです。


とはいえ、皆が同じタイミングそんな気持ちになれる訳でもありません。ただ、節目であることは確か。その節目を越えて、次の一歩を変わらず踏み出せますように、そんな思いを込めてお勤めをさせて頂いています。


そこばゆい感触を味わいながらの法事でしたが、願わくば、仏さまのご加護も受けて、皆さんが明日も良い一歩を踏み出せますように。