書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

梅花流全国奉詠大会参加の旅 1日目

いよいよ始まりました。今回の全国大会は、会場を宮城県総合運動公園グランディ・21にて、今日明日の二日間の日程で開かれます。両日ともほぼ同じ内容で、全国からの参加者が二日間のどちらかに振り分けられます。


我が静岡県第四宗務所は大会2日目、5月30日が参加日となります。当日は朝早くからの入場となり、当宗務所は8時3分の到着を指示されました。遅くとも9時頃の到着を指示されるはずなので、いずれにしても前日に会場付近に宿泊しないと間に合いません。


ですので、今日の目的は会場付近に宿泊すること。でもそれだけでは交通費がもったいないので、別の目的も混ぜ込みます。例年ですとそれは周辺観光となるのですが、今回は会場が宮城県東日本大震災での被害が甚大だった土地です。被害の現場を学ぶことと、犠牲者の冥福を祈る法要を組み込みました。


新幹線で仙台駅に到着後、2台のバスに分乗して出発です。昼食を食べた後、最初の目的地、徳本寺様へ。徳本寺様は、境内への津波の被害はなかったようですが、お檀家さんには150名近い犠牲者が出たそうです。そして兼務されている徳泉寺様では、本堂も庫裏も、建物は何もかも根こそぎ流されてしまったそうです。もちろん、徳泉寺様のお檀家さんにも犠牲者が。


住職を務められている早坂文明老師は、曹洞宗と縁の深いSVA(公益法人シャンティ国際ボランティア会)の常務理事もつとめていらっしゃいます。そうした経歴のあるお方ですから、この事態に何も行動を起こさないわけはありません。


もちろん伽藍を失った徳泉寺の復興も目指されていますし、被害状況やその後について講演をされたりするなど、もっと広い範囲での復興に向けての活動を精力的に行っていらっしゃいます。そうしたことを、わずか30分という短い時間でお話ししていただきました。


そのお話しの前に、宗務所長を導師に、参加された御寺院様方にも両班に立っていただき、震災犠牲者を悼む供養法要を厳修しました。私はひたすら写真を撮っていました。この時間帯、写真係3名。多すぎました。


参加者は皆さん梅花講員さんですから、当然御詠歌を詠えます。お経の後に御詠歌を唱えていただきまして、これがジーンとくるのです。お経よりも内容が日本語で理解できる分、浸みるのです。御詠歌を聞く度に、お経はやはり平易な日本語に書き直したものも用いるべきだと感じます。


徳本寺様に続き、同じ山元町にある中浜小学校へ。こちらでは、地震の時には教師児童合わせて70名?ほどが校内に今した。津波は10分後に到達するという情報があり、避難地である坂本中学校へは低学年の子では間に合わないと校長先生が判断し、全員を屋上に避難させました。避難してきた付近の住民合わせて90名ほどがいらしたそうです。


屋上には屋根裏部屋があり、最終的にはその中で津波の難を逃れました。すぐ下の2階の天井まで津波は届いたというので、本当に間一髪だったようです。津波が到達するのに実際には30分以上がかかったようですが、それは後から分かった話。もちろん、あとほんの少し高い津波がきていたら屋根裏べきも無事では無かったでしょうから、幸運であったことも事実。しかし、校長先生の素早い判断が、幸運を引き寄せたとも思えます。


いずれにせよ、後からどうのこうのいっても仕方ありません。その場その場でどれだけ(後から振り返っても)正しい判断が下せるかは、事前の準備をどれだけしていたかにかかっています。我々が出来ることは、こうした事例を1つでも多く学び、自分たちの身に降りかかる災害から生き延びることだけです。自分だけでなく、なるべく多くの人と共に。


中浜小学校のこの建物は廃止されましたが、震災遺構として保存されることになったそうです。津波を想定して、津波の力をうまく分散させるよう設計された校舎だったそうで、それもまた全員の生還に繋がったのでしょう。


校庭には早坂文明老師が尽力されて、千年塔と名付けられた五輪塔が建立されました。隣には町の建立した慰霊塔。その前でも慰霊法要を勤めました。もちろんこちらも御詠歌を奉詠。千年に一度と言われる今回の大津波を、千年後にも伝えられるようにとの思いを込めた命名です。


震災の被害を思うと重く苦しい気持ちになりましたが、しかしこの場では全員が助かったという胸をなで下ろす事実もあり、複雑な気持ちを抱えて仙台市内のホテルに入りました。明日は全国大会に参加し、講員さん達は奉詠をいたします。きっと、いろんな思いの詰まった奉詠になることでしょう。