書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

宗務所に行けない日

全国大会明けで、宗務所に出ておきたい気分なのですが、今日は葬儀のために出勤する時間がありません。


他の職員は葬儀があっても合間に宗務所に来たり、役僧であればその時間だけ抜けたりと、割とうまいぐあいに出来るのですが、私は宗務所まで片道1時間かかるために、それが出来ません。葬儀が終わってから出勤すると、2時間ほどしか仕事をする時間が無いのです。


なので今日は我慢。葬儀に集中です。


年齢的には大往生と言える方なのですが、盆・暮れのおときでお茶をいただいた記憶が鮮明に蘇ってきて、寂しい気持ちが溢れてきます。


お檀家さんの誰が亡くなっても、それぞれに思い出がある方ばかりですから、辛くないなんて事はありません。これからはずっとそうなのでしょう。


師匠もそうやって、年月を重ねてきたわけですよね。どんな思いを抱いてきたのか、いつか聞いてみたいです。


こんな体験は、おそらく希有な物でしょう。それを、お寺に生まれたというきっかけのおかげで、こうして体験させていただいて。


お悔やみ欄で見るだけ。葬儀場案内の看板で知るだけ。それぐらいであれば、心を締め付けられる思いはしなくて済みそうなのですけれど。


このことについて、ありがたいと心の底から思えるようになるときが、果たしてくるのかどうか。良くしてくれた人たちの別れの場に、常に身を置けると考えれば、ありがたいことですよね。


でもまだ、悩みは尽きないのです。