書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

なぎさ保育園の坐禅体験

毎年恒例の坐禅体験です。予算所会が終わってほっと一息、羽を伸ばしたいところですが、せっかく坐禅に来てくれるのですから全力投球です。


予定の10時よりも30分早く、子どもたちが到着しました。私の着替えがまだでしたので、本堂で整列する子どもたちの様子をチラチラ覗きながら、のんびりと着替えました。


子どもたちがどんな様子で本堂で待っているか、それを観察するのが興味深くてですね。慌てて着替えて顔を出しては、もったいないと思えたのです。


期待以上に、静かに待ち続ける子どもたち。さながら、入門の許可を求めて山門でたち続ける禅僧のようです。


子どもたちは、たぶん保育園で先生に少しばかりおどかされて来ていると思うのです。そんな心持ちの中で、私の訪れを待っているわけです。


坐禅会の、保育園側の目的は、今春小学校へ入学する年長児に、少しでも落ち着きを身につけさせること。学校へ上がってからも保育への時代のように暴れ回らないように、と言う気遣いですね。たしかに、そうした行いが原因での学級崩壊も問題となっていますから、予防をするに越したことはありません。


お寺側である私の目的は、あくまでも坐禅の体験です。これを機会に少しお寺に興味を持ってもらえれば御の字。とにかく、幼少時に一度体験しておけば、将来もまた、興味を持ってくれる確率が高まります。その時を楽しみにしてるのです。


そうして始まった坐禅体験。私がそんなに怖くない存在だと分かると、子どもたちの顔にも多少ゆとりが産まれてきました。


今年の私の課題は、最後まで子どもたちの、お寺への畏怖心を維持すること。ちょっとばかし面白いお坊さんに坐禅を教えてもらった、という体験だけでも良いのですが、そこにもう一つスパイスとして、お寺の存在感を活かしたかったのです。


初めて坐禅体験を実施したときには、私に緊張感が溢れていましたので、それが子どもたちにも伝わったのか、最後まで子どもたちは緊張し続けていました。そこまでではないですが、そうした緊張感の継続を目指したのです。


ですから、今年はあえて柔らかさを押さえ、時折厳しい言葉を発しながら、坐禅の指導を行いました。自己採点は70点ぐらいかなぁ。


子どもたちの坐る時間は15分。これはあらかじめ予定をしておくものの、子どもたちの様子を見ながら長短自在です。本当の坐禅じゃありませんので。


今までの最長は、20分だったと思います。今年は足が痛そうにしている子が多くいたので、15分で打ち切りました。年々体の硬い子が増えているような気がします。今年もまた、結跏趺坐が出来ずに半跏趺坐で臨んだ子が増えました。


子どもたちの体はまだまだ柔らかいので、多少無理させたくもなるのですが、事は間接の話。余り無理して痛みが長く続いてもいけません。発心しての修行であればある程度のダメージは覚悟しなくてはなりませんけどね。


私にとっても緊張する時間の中、1時間半に及ぶ坐禅体験は終了しました。そのうちの30分は、坐禅の後の私の話でしたけどね。つい熱が入ってしまって、長くなってしまいました。


でもね、さすが小学校入学目前の年長さんです。ほとんどの子が、真剣に私の顔を見続けていましたよ。あの様子なら、小学校に行っても心配ないです。


出来れば今日私の話したことをずっと覚えていて欲しいですけれど、そこはやはりまだまだ年長さんですからね。どうかな。話したことの核心はほんとに短いフレーズなので、おぼろげでも覚えていてくれたらと思います。


大きくなってから、また坐禅をしたいと、訪ねてきてくれないかなぁ。