書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

小國神社へお詣り

目的はやはり、出店でのお買い物をして、お正月気分を味わうことでしょうか。私は生粋の仏教徒、というか僧侶ですからね、神社へお詣りすること自体にはそれほど意味を見いだせません。論理的思考の産物である仏教と、神を信じる神道では、あまりに違いすぎますし。腰を据えて神道の勉強をしたらまた違った見解になるかもしれませんけども。


ナビの案内通りに進むと大渋滞にはまりこんでしまいますので、何回かかよって見つけた裏道から、渋滞真っ最中の大通りに顔を出すというルートを選びます。地図を見ればすぐに分かる道なので、それでも渋滞に延々と並んでいる車が居ると言うことは、それらの方はみなさん初めて来る方々なのでしょうか。それとも訳あって渋滞に並んでいるのでしょうか。


神社へ近づくと現れるいくつかの道路案内にしたがっても、あそこまで渋滞になるような道案内ではないと思うのですが。ただ、4日までは、東から来る道は右折禁止となっていて、神社へ向かう道へは曲がれないので要注意です。5日以降はその道を使った方が、速いでしょうね。


なんにしても、大通りから神社へ向かう一本道へ入ってからも、30分から1時間は渋滞の列に並ぶことになります。それなりに覚悟して出かけなくてはなりませんでした。


神社のすぐ近くの駐車場へは渋滞の中さらに時間が必要ですので、徒歩5分ほどの距離にある臨時の駐車場へ駐車して、お詣りに向かいました。そして、少し買い物をして帰ってくるまでの間に、1時間が経っていました。のんびり過ごしたわけではないのですが、やはりけっこう時間がかかります。子連れですのでなおさら。


しかしおかげさまで、日本人らしいお正月を味わうことが出来ました。感謝感謝です。一つ感心しないのは、厄年をあおって厄除け祈祷を勧めているところ。仏教のお寺でも同じようなことをしているところがたくさんあるですけどね。あおっているといっても、厄年の一覧表が大きく掲示されているだけです。でも、その中に自分の年があったら、普通の人は気になるでしょう。


厄年なんて、無いんです。厄年の時に病気をしたり事故をしたりという傾向はあるかもしれません。しかし、正確に統計を取れば、有意な差では無いと結論づけられると思いますよ。要するに、それぐらいの年になると、体に疲れがたまって病気になりやすかったり、そういう体調であれば大きな病気にならないにしても注意力が散漫気味になって事故に遭いやすくなりますよ、とそういうことだと思います。


昔はいざ知らず、最近はそういうことが薄々分かっているのですから、いつまでもそうして不安をあおってないで、しっかりと厄年なんて無いと布教して、代わりに交通安全とかそういうご祈祷を勧めれて、なおかつ体に優しい生活を実践するようにアドバイスをするべきでしょう。


神道的にはそれは×なのでしょうか。まあ他の宗教はともかく、仏教では厄年なんて言っていたらダメだと思います。人々の幸せになんにも寄与しないです。そんな宗教、捨てられてしまいます。正太寺でも、現実に生きる人たちが幸せになれるような布教を、どんどん実践していきたいと思います。


と考えたお詣りでした。いやあ、有意義でした。