『Wake me up! 祈るように ありきたりの日々を
自分自身にかけた催眠術を解いて 目を開こう
「心の闇」だなんだって 時代の所為にしてきたろう?
この街中にある 満ち足りていて でも空虚な砂漠を
君と歩いてく』
Mr.Childrenの「Wake me up!」という歌の一節です。宗務所勤務の帰り道、いつものようにMr.Childrenの曲を聴きながら帰ってきたのですが、この歌詞がすうっと頭に入ってきました。
『自分自身にかけた催眠術を解いて 目を開こう』
思うように自分のやりたい仕事を進められないことを、自分以外のせいにしているんじゃないかと、ハッとさせられました。全ては自分次第だと、人には当然のように訴えるのにもかかわらず。
その数分後、川辺で遊ぶ子どもたちの姿が目に入りました。私服通学が当たり前になってしまった母校に通う子どもたち。しかしそこにいた4、5人の子どもたちは、私の頃と同じに見える体操服姿で遊んでいました。
自分の子ども頃の記憶がフラッシュバックします。あの頃、乗り物と言えば自転車だったし、自分で移動出来る範囲は学区内と限定されていました。パソコンだって無かったし、インターネットももちろん無い。携帯電話もないし、お金もない。
ゲーム機のある友達の家に行ってゲームをする以外は、外で元気に遊んでいた。高学年になると部活とそろばん塾で帰りが遅くなり、友達と共に遊ぶ時間も減り、そろばんからの帰り道は常に一人でした。
一人でぷらぷら歩きながら物思いにふけることもしばしば。あの時、何をしたかったんだろう。大人になって、何を成したかったんだろう。
中学、高校と進んでいき、行動範囲も広がった。しかし、今と比べれば、自分の起こせる行動の選択肢など、ほとんど無いに等しい状況でした。今は、その気になれば何でも出来る。それなのに、あの頃にやってみたかったことの、いったいいくつを実際にやってみただろうか。
時間の自由はあまり無いとはいえ、手段だけはいくらでも整っています。車の運転は出来ますし、電車で日本の端から端まで移動するぐらいの貯金はなんとかあります(実際にいくらかかるか調べたこともありませんが)。
インターネットがあれば知りたいことは(それが正しいかはともなく)すぐに調べられます。図書館に行くのも車で10分です。パソコンだって自由に扱える。
それなのに、いったい自分は、何をしているのだろう。出来ないことの言い訳ばかりしていないだろうか。
そんな思いが頭から心から、体の隅々まで埋め尽くしました。時間はあっという間に過ぎていきます。私もそのうちに老人になり、長く生きれば体の自由も今とは違う物となることでしょう。体全体を使って、脳みそをフル回転させて、そうして何かに取り組める時間なんて、もう残り少ないのではないでしょうか。
道元様はそのことを口酸っぱく弟子達に、そして後世の私たちに訴えていたはずなのに、私は全然身に染みていなかったのですね。ショックです。
今のこの瞬間から、出来ることに全力で取り組まなければなりません。それでなければ、後悔するのは目に見えているのですから。しんどいことかもしれませんが、後から悔やむよりは、きっと良いのです。