書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

雨の中、石塔開眼供養

生憎の雨の中、石塔(お墓)の開眼供養がありました。開眼供養の説明は、同じ曹洞宗、神奈川県にある東前寺様のホームページに分かりやすい解説がありましたので、ご紹介しておきます。こちらをクリック。(面識は一切ありませんです。写真も豊富で分かりやすいです。読経中の写真がたくさんあるのがうらやましい。どんな方なのでしょうか。)


魂がどうのこうのの話ではなくて、石塔が期待される機能を果たすように祈念する法要です。東前寺様のページほどには道具を揃えませんが、正太寺でも最低限必要な物を使って法要を行います。ですので、雨が降ると大変になります。


大きな竹かごに必要な道具一式を入れて片手に持ち、もう片手で傘を差して墓地まで行き、お施主の息子さんに傘を差してもらいながら道具を並べて準備をし、そのまま法要を行いました。でも、いくら傘を差していただいても濡れますし、もちろん道具も濡れます。まあ、道具は乾かせばいいんですが、お袈裟が濡れるのは辛いですね。シミになります。


私は雨の日用の、もう濡れても良いお袈裟というのがありませんでしたから、これを機会にこのお袈裟をその役にしようと思います。物持ちの良い住職ですので、たぶんまだ1つぐらいは使えそうなお袈裟があることでしょう。


法要自体はもちろん無事に済みました。今回の開眼供養は、少し古くなって隙間の出来てしまった石塔を修復したのに伴っての法要でした。今後も施主家のご先祖様をおまつりし、信仰の拠り所としての機能も発揮する場としての石塔として、存在し続けて欲しいです。



お袈裟の話が出ましたので蛇足を。
お袈裟は本来は、僧侶の身につける唯一の衣類でした。日本ではそれでは寒いので他にも何枚か着るわけですが。裸でいるわけにもいかないから一枚はおっとけぐらいの感覚ですよ。ただ、その一枚も、ぼろ切れを信者さんにいただいたりして縫い合わせて作る品です。おそらく予備なんて持たなかったでしょうから、そりゃあもう大切にしたんだと思います。


現在でも、お袈裟は大切な物として、身につける前には頭上にいただいて偈文をお唱えいたします。


お袈裟の成り立ちを考えたら、雨に濡れたぐらいでどうこういうものでもないんですよね。雨が降れば濡れるのが当たり前の物だったはずです。それが今は、生地もいろいろあるし、何枚も持っているし、ここ一番の時につけるお袈裟は金襴だったり刺繍がしてあったりと豪華になっています。そして、濡れたらシミになるから、とやたらと気にするわけです。


大切にするあまり、捉え違いを重ねてきたように思えてなりません。お釈迦様の教えが今まで絶えることなく繋がってきている象徴でもあるわけですが、それならばこそ、お袈裟本来の扱いをしても良い頃ではないかと、思います。


自分で縫うべきお袈裟を、まだ縫ったことがない私が言えた話じゃないですけどね。