書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

今日は休養日

外に出る仕事もなく、家族で出かける予定もなく。公私ともに休養日です。久しぶりにCNETの読者ブログを更新したりして、文章を書く訓練をしてました。巡回中のサイトで見かけた記事によると、文章力の向上のためには毎日最低1000文字の文を書けという論を紹介していました。(Lifehacking.jp)1000文字、毎日書けてるかな。この日記、このあたりで230文字です。


ざっと記憶を辿ると、どうも1000文字毎日は書けていなさそうです。iPhoneから書いた日なんかは1段落2段落通常よりも少なくなりますから、きっと500〜600字ぐらいじゃないですかねぇ。それでも平均したら800字くらいは書いてるんじゃないかと思いますけれど。


iPhoneを始め、いつもと違う機器で文を書くと、いつも書いている量というのが掴みづらく、気が付くと短めで綴じてしまう事が多いです。もっとも、MacBook Pro以外で日記を書く状況なんて、たいてい一泊出張時ですから、日記を書くのに割ける時間というのも短くなります。それなのに同じ分量を書くのに必要な時間は2倍にも3倍にもなりますし。(フルサイズキーボードでタッチタイプする速度に比べたら、今現実的に選択できる入力手段でそれを上回る物なんてありません)


そんなことを考えながら、先の記事を読み進んでいたら、一番最後に紹介されていたのは、「こんなリストを見ているのをやめて、何か書くこと!」という一言でした。あはは。小説家を目指しているわけではありませんが、文章力の向上は望んでいます。話す能力の向上にもいくばくか繋がっていきますし。


正太寺通信を発行し始めてしまいましたから、誰にとっても読みやすい文章を書けるようにならなくてはなりません。始める前にそうした技術が身についていたら一番良かったのですが。仏教用語は難解ですから、それを平易に、それでいてくどくなく書いていくのはなかなか難しいです。私の書く文章は、どうもフレンドリーではないようです。字面が固いとでもいいましょうか。構えているというか。


気軽にさらっと読めて、それでいて後から読み返したくなり、理解が深まる。そんな文章が今の理想です。いつか満足のいく文章を書きたいです。そしてその頃には、満足しながらも、次のレベルを目指していられたら良いですね。