書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

新しい機械に惹かれません

久しぶりに兄二人が揃って遊びに来ました。それぞれ4人家族、3人家族になっていますから、居間はあっという間に人であふれてしまいました。


そんな中、長男が携帯電話のカタログを持ち込み、どのキャリアが良いかねぇ、という話になりました。いろいろと悩みがあるようです。
そんな話をしながら、私は久しぶりに見る携帯電話のカタログに目を通しました。総合カタログなので、販売中の最新モデルがずらりと並んでいます。


でもあんまり興味をひかれないんですよね。今の携帯電話で概ね満足しているせいでしょうか。
カメラ機能に関しては、レリーズタイムラグがあまりにひどかったり、いまいち明るい絵にならなかったり、なにかと不満があるのですが、それ以外にはインターネットアクセスがちょっと遅いかなという程度で、致命的な欠点は見いだせないのです。
レリーズタイムラグら撮れる絵なんて、一世代前の機種の方が良いんですからそうとうなものですけど(たまたま母が使っているのです)。


お財布ケータイにも今のところ興味はありませんし、いろいろと付け加えられている新しいサービスも、無料でなければ食指が動きません。お金がかかる=メーカーに踊らされているような気がして悔しいのです。
私の使ってるキャリアはナビ機能が秀でているのですが、車移動が中心なので滅多に出番がありませんし、突発的に知らない土地に行くことも無いので、事前に下調べすれば十分事足ります。昔はとても魅力的な機能に見えたのですが、今は感じません。


数年前はひたすら新しいものに興味があったのですが、最近すっかり落ち着いてしまって。相変わらずデジタルカメラとパソコンには新機種情報に多少は気を配りますが、それも以前ほどの情熱は傾けていません。仏教関係の本を読むときの集中力の方が遙かに高いです。じゃなきゃ困りますけどね。



新しい機械に興味が湧かないと衝動買いが減り、その分お金もかからないわけで良いことなのですが、そんな自分に何となく不満で、また不安も感じます。どんな分野でも良いから強い興味を示す力がないと、集中力がどんどん落ちてくる気がするんですよ。私の集中力増強訓練は、そういうところで行っていたようなものですから。
この先年を取るにつれてどんどん興味を抱かなくなり、何にも集中できなくなったらどうしようと、真剣に不安なのです。
どうしたものでしょうかねぇ。