書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

大晦日のお寺の目標は平穏無事

年越しに向けて、最終の準備を進めました。今日は兄弟が手伝いに駆けつけてくれて、おかげで力仕事による腰へのダメージもほぼありませんでした。それがなくてもすでに腰はヘロヘロになっています。年越しのお経を読む際のお拝がキツかった。

すっかりお正月モードになった正太寺の姿は実際にお参りに来て確かめてください。そういえば、正太寺のLINE公式アカウントも全然投稿していないな。こういう情報を流すために作成してあるのに。忙しいとダメですね。忙しいときこそ、情報を流す価値があるというのに。

夕食に年越し蕎麦を食べ、本当は年越しに勤めるお経を21時には済ませ、正太寺はすでに明日へ向けて動き出しています。

これがお寺の年越し。いつも通り。とても落ち着いた形です。

子どもの頃は、21時前に年越しのお経で、終わると年越し蕎麦でした。生協で買ったカップ蕎麦が一番記憶に残っています。あれは美味しかった。ストーブとコタツで部屋を暖めて。

今はそこまでしなくても、特に今日は大晦日のイメージとは程遠い暖かさで、それもあって仕事は捗りましたが、本当にこれでいいのだろうかと心配にもなります。地球にダメージを与えすぎたのか、それとも、地球に騙されているのか。地球規模の大きな動きの前では、人間の活動が及ぼす影響なんて微々たるものという説もありますし。もっとも、今の温暖化の原因が人間の活動にあることは間違いなさそうですね。

それでも、こうして落ち着いた年越しが迎えられるのは大変ありがたいことです。数年前は消防団で年越しでしたから、お寺の準備を終えて、詰所へ行って、という具合でなかなかに慌ただしかった。そうした時期も乗り越えての今の平穏。改めて普段通りということのありがたさを感じます。

明日の年頭の挨拶は、この辺を絡めた内容にしようかな。初日の出が迫る中での挨拶なので、極力短くしなくてはならないのが難しいです。今回はなかなか中身が決まらないのですが、決まらないと眠れないので、もうひと頑張りしますよ。

それでは、もう眠れるみなさんも、眠らず新年を迎えるみなさんも、どうぞ良いお年をお迎えください。

駆け込みでパソコンに向かう一日

丸一日かかる仕事を師匠に全フリして、私もまた結果的に丸一日かかる仕事を。お寺の会計と護持会の会計、両方がこの月末で年度末締めを迎えます。

両方ともやっておかないと年が明けるともう時間がありません。お寺の会計はほぼ自動化されているので日々の業務はあまりないのですが、年度末締めに向けて手作業の部分と、光熱費などの賞与振替とか、やることはけっこうあります。全部やったつもりでもまだ1日、お金が動く可能性がありますし。

護持会の会計は実は今日まで手付かず。こちらもクラウド会計ソフトを使っていますが、いろいろ問題があって半分は手入力。他にも直感的にできない処理があって22時過ぎにようやくひと段落。いましがた、決算と予算の雛形を作り終えたところです。

そして今からは、デジタル年賀状の作成です。今年からFacebookメッセンジャーとかで一部の人にはjpegで年賀状を送りつけています。来年の分も引き続き。ただ、今まで取り掛かる時間がありませんでした。ハガキの年賀状は25日にちゃんと投函できたのですけれど。

最も、デジタル年賀状は元日に送信しますから、まだ時間があるといえば、ある。それこそ元日になってから書いても間に合わないこともない。枚数としては10枚なので。でもなんとか今日中に終わらせたいな。元日は少しぐらい休みたいよ…

よし、当面の準備は終わったぞ

灰作務、よし! 本堂飾り付け、よし! 子どもたちの正月飾り、あっ!

お寺の準備は予定よりも早く進行しました。灰作務が早朝の時間帯でできちゃったのが大きい。

お役僧を終えて、午後からは家族総出で本堂の飾り付け。お正月仕様にすっかり変身しました。いかにも新年を迎えると言った特別感が出ていて好きです。どんな一日も二度と無い時間として大切に過ごす教えがあるからこそ、一年を無事に過ごし、新しい年を迎えることについての喜びはひとしおなのです。

晦日には、兄弟たちも子どもを連れて手伝いに来てくれます。お花やお餅を飾ったりして、最後の仕上げです。

そんな話を子どもたちにしたら、私たちだけでも出来るよという発言がありました。お手伝いに来てもらうのが嫌なわけではなく、自分たちも大きくなっているんだよという表明なんだと思います。とてもありがたい。

兄弟の子どもたちも成長とともにいずれは来れなくなるだろうし、そう遠く無い未来には、うちの子たちに主力で手伝ってもらう時がやってきます。その時に向けて、とても心強い意思表明でした。

明日は一日雨の予報です。外仕事ができない分、中のことに集中できてちょうど良いかもしれません。明日はどんな日になるのかな。最近は時間に追い立てられている感覚だったのですが、今ふと、そんなことを思える心のゆとりが湧きました。子どもたちの成長おかげですね。

窓拭き完了、堂内掃除も完了、灰作務はまだ

今日の一日はタイトルの通りです。窓拭きは庫裏の大部分も終了。あとは母の領域。すでにやってあるようにも見える。常にもやってくれてますしね。

自分たちの生活スペースの掃除は物がごちゃごちゃあって、どかすのが手間で時間かかります。その手間を考えるだけでやる気が減衰していくので、理想はごちゃごちゃさせないことなんですよね。全部ゴミ箱に入れたらどんなに楽だろうとも思うのですが、今度は分別が面倒だなぁ、ってなるので掃除は大変です。

本堂位牌堂を拭き掃除して、最後に掃除機をかけるのですが、ここで本堂用の掃除機の不調が発覚。つい先日は動いたのに今日は全然動かない。マニュアル調べたらサポートに電話してくれってことで、今はそれ無理だー、となりました。位牌堂に常駐させているもう1台も、数秒動いたらすぐ切れるという謎動作。コードレスなのでバッテリーの問題かなとも思ったのですが、スイッチの接触不良も考えられそうな雰囲気。スイッチを何度か操作していると時々動き続けてくれるようになったので、動いている間に急いで掃除をしました。

なんとも落ち着かない掃除となりました。バッテリーも弱くなっているし、各パーツも古くグラグラなっているので新しく買いたいところですが、今はとてもそんな財政事情ではないので、だましだまし使うしかないです。

年の瀬に来て備品が壊れるというのは、簡単に修理も出来無いし、新しく買うのも大変だし。そういえば年末年始のお店の営業が短縮される傾向にありますね。子どもの頃に当たり前だった世界が再び戻ってきます。世間ではおおむね好意的に受け入れられていると思いますが、備品調達の面では苦労が増えますね。ま、そういうものとして割りきれば良いだけです。掃除機の代わりはほうきもありますし。ただ、埃が舞うのでどこまできれいになっているのか疑問はあります。掃除機万歳。

やる気スイッチの場所が分からない

午前中に本堂内側の窓拭きを完了。その他、目につくところの窓拭きも。これでお堂まわりはだいたい終了。そこまでやったところで、かねてから予定されていた娘のイベントに出陣。詳細は書けませんが(自分のことならいくらでも書けるのですが)、娘はよくがんばりました。しばらく褒めまくろう。

夜になってから帰宅し、ここからは日記執筆、ブログ更新モードに入るのですが、今日は何故だか急に、換気扇掃除と台所周りの掃除に突入してしまいました。疲れて仮眠をとってもおかしくない状況だったのに、一体どうしたことでしょう。自分でも原因不明。何かをきっかけにやる気スイッチが入ったんだと思いますが、自分のことながら意味不明。

でもこれで、明日の掃除予定がだいぶ余裕になりました。本堂位牌堂の掃除と、庫裏の窓拭きぐらいです。掃除は多分2時間はかからない。庫裏の窓拭きの方が、体力的にはしんどいかもしれない。網戸も洗わなきゃならないし。お寺中の網戸のうち、半分は冬になるとしまうのですが、もう半分は出したままなのです。しまうところもないし、結構使うし。換気する時には欲しいですからね。

あとは灰作務をいつやるか。線香立ての灰をきれいにするお仕事です。灰が舞うので屋内ではできず、外でやるにしても風がない時を選ばなくてはなりません。朝一番が最も適しているのですが、明後日は朝から予定を入れてしまい、明後日は雨の予報。その次の日は大晦日です。大晦日でもきれいになればいいんですけれど、そこを逃すときれいにできずに年越しを迎えてしまうわけで、それまでになんとかしたい気持ちが強いです。でもやれる時がなくちゃ仕方ないですけど。

もう一つ。本堂の飾り付けもあります。歴代住職の掛け軸も飾らないとならないし、こちらも短く見積もって2時間ぐらいはかかるでしょうか。夜なべになるかも。子どもたちがうまいこと手伝えるタイミングでとりかかれれば、希望は見えてきます。タイミング、大事ですね。

今年も残すところあと4日。時が過ぎるのを年々早く感じるようになっているけれど、今年はさらに輪をかけて早かったように思います。充実していたからなのか、充実していなかったからなのか、さて、どちらでしょうか。

なんか忙しかったけど窓拭き外の部は終わらせた

予定外のことが立て続けに発生してなんだかバタバタした日でした。昼食を取ったらすぐに取り掛かるはずだった窓拭きを、16時過ぎに取り掛かり始め、なんとか外側は終わりました。よかった。

外側は、こいつを使って作業します。スクイジーって言うんでしたっけ。水切りですね。裏側には雑巾の代わりの部分があります。本当は中性洗剤をつけて窓を拭き、スクイジー側で水を洗剤ごときれいに拭き取るのですが、正太寺の外窓拭きは水拭きです。洗剤使いません。

その程度で十分にきれいになりますし、また、徹底的にきれいにしてもすぐに汚れる…

いや、それを言っちゃあおしまいですね。失礼しました。ただまあ、油汚れがつくわけでもなく、せいぜい潮風を浴びるぐらいなので、実際水拭きで十分なのです。

スクイジーの扱いにもだいぶ慣れましたが、大量の窓拭きを素人が一気にやるときのコツは、「細かい事は気にしない」

これに尽きます。とにかく一通り拭くことに最大の価値を見出します。もちろん拭く前よりはきれいになってますからね。

あとはなるべく早く内側の窓拭きを。こちらは洗剤を使います。昨年使った洗剤、筋が残りにくくてよかったけど、なんて名前だったかな。聞いたことのない名前でした。写真に撮っておいたので、同じものを探し出したいと思います。買うところからかよ、と言うツッコミはなしで。ひと月前から買おうとしてるのに買えずにいるだけです。

本堂回りについては、外の窓拭きが終わればあとの掃除は天候に左右されませんし、夜中でもできるのでもう目処がついたも同然です。あとは庫裏、それも台所回りですね。ああどうしましょう。こちらは考えるだけで頭がくらくらします。どうやら、やる気を起こすところから始めないといけないようです。

葬儀に合間に何をしているかというと

葬儀は一日がかりですが、合間に空き時間も発生します。そんな時間に何をしているかというと。今日はNetflixで映画を見ていました。意外でしょうか。私は意外です。何か文章でも書こうと思っていたのに、ふとNetflixのマイリストを眺めたら、気になっていたのにまだ見ていない物を見つけてしまって。


ほんの1時間ほどの合間なので全部は見れないのですが、それは分かっていたのですが、つまらなかったら途中でやめるのにちょうど良いかと思って見始めたら、これがなかなかおもしろい。


以前調べたときにはB級映画的なレビューを見つけたように思うのですが、改めて調べ直したら、2000万ドルの制作費でアメリカで8000万ドルの興行収入を得て、日本でも12億円の興行収入ということで、大成功の部類ですよ。見てよかった。


帰宅してから残りも見て、満足したところです。


葬儀の合間に何でこんなことをしているかというと、私が故人との思い出に引っ張られやすいから。お経も間違えやすくなるし、あんまりよろしくないんです。ですので、敢えて葬儀と関係ないことで気を紛らわせて過ごすようにしています。


でも端から見たら嫌な和尚に見えちゃうかもしれないと思うと、どうしてもこそこそしちゃうんです。それが余計にあやしさを醸し出してしまって。


そんな悩みを抱えつつの毎回の葬儀であります。