書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

平常がスタート

お正月気分もあっという間に消え去り、今日から平常運転。長女は部活へ行き、他の二人もそろばん塾へ。会社はまだお休みのところが結構多いと思うのですが、子どもたちの方がスタートが早い。

正太寺は、お役僧に師匠と二人で呼んでいただいて、お勤めしてきました。晩からは護持会の会計をする会が開かれますので、それに備えての準備を午後から。他にも、とある会合の新年総会の幹事になっているのでそちらの案内の準備なんかもボチボチと。

護持会の会計は無事に終了し、次期総代さんの候補者を相談していたら21時近くなっていて、散会となりました。ここから決算書の作成をして、そういえば年末調整をしていないし、昼間に作った案内の発送も月曜にはしなきゃならないし。

こうやって複数のことを抱えていると、不意に突然の仕事が入ってきたりするので、戦々恐々としながら仕事を進めるのです。あの時ぼーっとしていた5分、あの5分ですらもったいなかった、と思うほどに。

こんな具合に平常がスタートしました。お正月休みはまだだいぶ先です。

正月三が日も終わりを迎えます

夜になって熊本を大きな地震が襲いました。震度6弱と報道されています。まだ先の地震からの復興も道半ばと思える状況の中です。大きな被害が出ていないことを願っています。

正太寺は午後から正月飾りを下げました。もうすっかり通常モードです片付けの手伝いに来てくれた兄弟たちと夕食を食べに出かけ、これで完全にお正月モードは終了。私も夜なべを再開です。

そんな矢先の地震だったのでびっくりしたです。本当に、被害がありませんように。今のところ人的被害のニュースは流れていないようですが…

明日の夜は護持会の会計処理の日。帳簿はほぼ出来上がっているので、会計さんと点検をして、決算書を作るのが一番の仕事。予算書も作りますが、特段の事業も予定されていないので例年通りの内容、すぐに出来上がるはずです。そのための書類を用意しておくのが明日までの仕事。昨年の書類を流用して作るだけなのでさほど時間もかかりません。パソコンがなかったらどれほど手間だっただろうかと想像すると、そのありがたさが沁み入りますが。

今年もパソコンを始め、電子機器と仲良く付き合っていく一年になるはずです。趣味だったものが仕事に欠かせないものになり、あの頃の輝きが失ってしまったように思えてから幾星霜。趣味の時代に感じていたようなワクワク感、またどこかで感じたいなぁ。

お年始回り Part 1

昨日は兄弟がお寺に集まってくれました。今日は私もお年始回り。浜松のお師匠様のところと、妻の実家へ向かいます。とはいっても、朝起きて出かけるというわけでは当然ありません。昨日と同じようにお檀家さんと朝のお勤めをして、それからです。朝食が終わるのが8過ぎになりますので、それから準備を整えて。その間にお年始回りのお客様もお迎えして、出発したのは9時ちょっと前でした。

浜松のお師匠様は昨年住職を譲り、今は東堂。いわゆるご隠居さんです。何かお変わりあったかなと思っていたのですが、どうやらまだまだ最前線でバリバリのご様子でした。お元気ですから、なかなかすぐに全部の仕事を譲るというわけにもいかないのは、自身の身に当てはめてもよく分かります。私もまだまだ師匠に頼っている部分が多いですから。

1時間ほどお邪魔をして、その後は妻の実家の菩提寺へ初詣をして、妻の実家へ向かいます。

菩提寺さんではお参りの方にお抹茶を振る舞っていらっしゃいます。お菓子がおいしくて、毎年楽しみにしています。子どもたちも好きなんですよ。幼稚園の頃はお菓子を食べるだけでお抹茶は飲めなかった子たちも、今ではおいしいと言って飲むようになりました。慣れなのか、味覚の変化なのか。自分も通ってきた道のはずですが、不思議なことですよね。

今回は思い切って御住職のお願いして、裏舞台も見せてもらいました。毎年2日のお昼近くにお参りしていますが、私たち家族以外にも必ず数名の方がいらっしゃいます。多分1日を通してお客さんを迎えていることでしょうし、1日はもっと大勢いらっしゃると想像すると、どれほど効率よくお茶を点てているのかと、気になっていました。

もっとも、お茶をいただくのは書院。お茶を点てているのは隣の茶所ですので、お客さんからは見えません。飲み物とお菓子の提供というイメージで取り組んでいらっしゃるであろうことは想像が付いていましたが、それでも大勢分を一度に作るのは大変です。その秘密をですね、堂々とのぞき見する感じです。

一番驚いたのは、電動ポット。注いだ量が表示されるんです。ですから使うお湯の量をこれぐらいかなーと見当をつけずとも、ポットの表示に従えば良いのです。お茶碗はいろんな形をしていますから、この辺りまで注げばちょうど良い、というのが覚えにくく、だからこそひしゃくを使うお点前になっているのですが、流れ作業の如く行うにはひしゃくですくえるようにお湯を準備するのが課題になります。それを違う方向から解決していると言うこと。感動しました。

そしてさらに、冬の時期ですからどうしてもお茶碗が冷たくなります。茶道では当然そこもカバーしているはずですが、略式のためにカバーできません。たぶん、電動ポットでちょうど良い飲み頃のお湯を出しているはず。冷たいお茶碗に注げば、当然お湯の温度は飲み頃よりも冷めてしまいます。

ここで登場するのが、食器乾燥機。乾燥機稼働状態にして、そこにお茶碗が入っています。なるほど、これなら常時暖まっている。お客さんへの気遣いですよね。これもまた感動しました。ただ、後から冷静に考えると、電気代がけっこう増えそうだな、と。エコでは無いですけれども、ここは仕方のないことだと思います。お客さんがいないのに暖めているのであれば無駄になるでしょうが、途切れること無くお客さんが来るのですから、無駄とは言えないでしょう。

感動の気持ちのままお寺を後にして、妻の実家へ。お昼ご飯をいただいて、みんなで団らんし、夕食は外食。9人という人数でしたのでお店探しがいつも難航するのですが、今回はネットで順番待ちを取れるお店がうまいことそこそこ空いていて、出発前に番号札をネット経由で取り、到着とほぼ同時に席へ案内してもらうという、見事なタイミングで晩ご飯を食べることが出来ました。いつもこんな調子なら良いのに。この食事の場も楽しいことがいくつも発生して、ほっぺたの筋肉がつりそうでした。束の間、お寺のお正月のことを忘れての、良い息抜きになりました。

さあ、三が日もあと一日。お檀家さんとの朝のお勤めもあと一日。今日も若干失敗がありました。明日こそは、完璧とは言えないまでも、納得の出来るお勤めをしたいです。緊張に弱すぎますね。

元朝に寄せて

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新年あけましておめでとうございます。

正太寺は住職がやや暇になったので、これからいよいよ本格的に現住職色に染まっていく予定です。門前にログハウス建てて寺務所兼賽銭カフェにしたい。お参りにきた人を呼び止めて半日話し相手にするの。理想。

晋山結制も数年のうちには修行したいです。今の財政状況では夢物語ですが、40代のうちには実現したく考えています。檀家さんに寄付を募らずに、というのが理想ですが、財政状況が改善しない限りはそれしか道がありません。みんなに盛り上げてもらうというのも良い選択肢だと思いますが、普段から十分に盛り立ててもらっていますので…

正太寺のお正月は、いつも通りに朝のお勤めから始まります。いつもと違うのは、お檀家さんが一緒にお参りしてくださること。今朝も大勢のお檀家さんに集まっていただきました。そんな緊張感溢れる中でのお勤めにもだいぶ慣れてきたのですが、お経が途中で迷子になりまして、大変な事態となりました。

少し離れた位置で師匠が読んでいるのですが、全然聞こえません。一番最初の元朝祈祷の時でしたので、太鼓を叩きながらのお経です。本当に全然聞こえませんで、太鼓を叩きながら経机の中から引っ張り出したお経本に目を落として、このあたりのはず、というところから強引に読みだすというあるまじき行為に及びました。

最初から読み直せば良いのですよ、本来なら。ただ、師匠は読み続けているわけでして、止まるわけにもいかない。非常に厳しい状況でした。

それを回避するべく、お勤めの朝のご挨拶では、今は般若心経しか一緒に読めない子どもたちに他のお経も教えて、自分のすぐ後ろで読ませるように頑張りますと宣言したのですが(今は少し離れた位置で読んでます)、とにかく明日のお勤めに、これでは緊張感倍増で臨まなくてはならないので、急遽iPad miniで参照できるように経本スキャン→PDF化を行いました。

お盆と暮れのおときの際にはすでにiPad経本を実運用していますが、本堂で勤める法要で用いるのは初めてのことになります。取り回しに若干の不安もありますが、太鼓を叩きながらお経本をめくるのがなかなか難しいので、指でスライドするだけでめくれるiPad経本の方がまだやりやすいかな、と。

いずれにしてもこれもまた明日のご挨拶のネタになるでしょうか。お経が迷子になった件も含めて、しばらく話題にして、反省と自己研鑽の元にしていきたいと思います。

ちなみに、何百回何千回とお経を読んでいても、迷子にはなります。ならない人もいるかもしれませんが、私はなります。自信を持って言えます。そうした部分を持っていることを自覚しながら、どうするかを常に考え、実践していくのが僧侶ですから、たとえ大法要の時にお経が口から出てこなくなっても、何も恥じることはないと思っています。いや、まあ、恥ずかしいですけどね。そりゃあ。

以上。新年早々、平常運転の正太寺でした。本年もよろしくお願いします

冒頭の写真は長女が慌てて屋内から撮影してくれたもの。いつも初日の出を見てはいるのですが、諸堂諷経のために境内をうろうろしている最中のため、撮影は出来ないんです。娘に感謝。

最近の大晦日はなんだか静か

例年の如く兄弟達が駆けつけてくれて、年越し準備の最終仕上げ。私は護持会の会計処理を忘れていて、慌てて記帳を開始。年明け4日には会計さんと総代さんとで決算書の作成を行いますから、このタイミングでやっておかないと時間がありません。調べてみたら、昨年も大晦日にやってるんですよ。なんということでしょう。もう少し早く思い出すようにしなくてはなりません。

兄弟達のおかげで年越し準備はつつがなく終了。それにしても。師匠もバリバリと動いてくれてようやくこの状況。いずれ1人で準備する時が来たら、相当大変ですね。子どもたちが大きくなっているとは言え、まず私が動かなければならないのは予定されていることでして。

一時は師匠が葬儀に参列のために不在にしていてもなんとかなるぐらいまで全体を把握していたはずなのに。最近はなんだか、そうか、護持会の会計を慌ててやっているから、なんだか蚊帳の外にいるうちに終わってしまうんだ。来年のカレンダーに、護持会の会計を整える日をあらかじめ記入しておこう…

年の瀬まで思いついては慌てて取りかかるという、集中力の無い状態が続いてしまいました。大変良くない事態です。その事が自己認識できているうちに、ちゃんと改善していこうと思います。明日からでは無く、今から。そう、今から。ひとつひとつ、しっかりと。

がんばって年越しするぞ!

今年も1年、こんな日記を読んでくださってありがとうございました。来年はなるべくタイムリーに更新していけるように努めますので、引き続きよろしくお願い致します。

写真も毎日入れられたら素敵なんですけれど。

年末最大の難関をクリア

それは灰作務。お寺中の香炉の灰を、きれいにします。ふるいにかけ、戻し、平にきれいにならす。普通の灰はならすのに非常に時間がかかるのですが、正太寺で使っている灰は目が粗いので、香炉に入れたら香炉ごと前後に振って平にしたら、香炉ごとトントンと下に軽く落とすと、灰が固まって出来上がり。僅か数秒。もう普通の灰には戻れません。

それでも、ふるいにかける時には灰が舞います。屋内では出来ないので外で行いますが、少しでも風があるととんでもないことになります。灰ですからね。なるべく風が無い日の、なるべく早い時間帯。早朝ぐらいしかチャンスはありません。よりによって大寒波が来ている時ですが、7時から灰作務を行いました。

灰ならしが簡素化されているおかげで、1時間ほどで完了です。たくさんあるけども、私の要領も凄く良いです。自慢できるレベル。当然、使い慣れた道具、作業し慣れた場所があって成り立つので、よそのお寺でやろうとしてもうまくいきませんけれども。ちなみに、普通の灰ならしは大の苦手です。あんなの、絶対無理。きれいにならない。

上手な人はビックリするぐらいきれいに仕上げるんですよね…

これで最大の難関はクリア。以降はお檀家さんが届けてくださっているお餅代を位牌堂に貼り出す作業がメインとなりました。最近まで本物のお餅かお米のどちらかだったのですが、徐々にお餅代、という形にされる方が増えてきて、この3年ぐらいで大半の方がお餅代になってしまいました。お餅好きとしては寂しい限り。

ただ、当然お寺の収入としては助かりますし、腰にもありがたい。庫裏の玄関で受け取ったお餅に名札をつけて、位牌堂まで運ぶのですが、ある程度数をまとめて運ばないと非効率です。しかしまとめると当然重くなります。腰の負担になります。なかなか辛い作業でした。お餅代になって、体への負担は全くなくなったので、腰の心配をしなくて済みます。これは革新的。

体が楽なので、師匠が名札を書く間に私はこの日記をひたすら書き続けると言うことが出来ました。だいぶ書きためましたからねぇ。

そんな事を1日繰り返して、預かったお餅代はすべて位牌堂への貼り出しが完了しました。最近は大晦日に届けに来る方もほとんどおいでにならなくなったので、お正月飾りの最終仕上げに没頭することになります。もうすぐ年が変わりますね。今年も1年が早かったなぁ。

本堂荘厳

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本堂の飾り付けをしました。本堂だけはすっかりお正月です。

個人的には、年越しという風習には違和感を感じています。たかだか1日が過ぎるだけなのに、特別視しすぎという考えです。これを機会に掃除をしようとか、そういうのも分かりますが。

最近では寒い時の掃除は怪我をしやすく、年末だと病院も休みだったりしてなおかつよくないから、暖かい時期にお掃除しましょうという話を見かけるようになりました。本当にその通りだと思います。むしろいまの4月ぐらいの気候の時に年が変わるようにずらしたほうがいいんじゃないかと思うほど。

それでも、汚れたままでお寺が年越しをするわけにはいきませんので、黙々と掃除、そしてお飾りとしていきます。子どもたちには助けてもらいながらの荘厳は楽しいですね。自分も、そんなふうに思ってもらっていたんだろうか。私の場合は師匠が次から次へとやることを思いつくものだから、終わりが見えずにストレスばかり溜まったのは覚えています。私はすぐに「これでよし」としたがるので、私の弟子はきっと、私とは真逆の考えになるかもしれませんね。色々と楽しみです。